⑥河原町通
南北の主要な通りで、今も昔も京都を代表する繁華街の一つである。戦前は河原町をぶらぶら歩く「河ぶら」という言葉もあった。豊臣秀吉の京都大改造の天正18年(1590)ぐらいから道らしきものが通り、「お土居」の東側は鴨川までの広い河原であった。慶長15年(1610)の角倉了以の東高瀬川の開削が、都市化の開発を進めるきっかけとなった。二条通以南は、高瀬川や舟入など角倉家が管理しており、河原町通は「角倉通」と称されたこともあった。明治以降ますます開発が進み、大正15年には市電「河原町線」が開通し、京都の流通の要となっていき、今日の姿が現れてくるのである。