⑤坂本龍馬寓居之跡(酢屋)
河原町三条から一筋目南を東へ「酢屋」は290年の伝統をもつ材木商の老舗。この酢屋を入洛した龍馬は住まいとし、海援隊の京都本部とした。酢屋嘉平衛の理解もあり、慶応3年(1867)6月から二階表西側の部屋にいて「才谷」と名乗っていた。高瀬川の舟入である材木置き場でピストルの試し射ちもたまには二階の自分の部屋からしていたらしい。近辺に新撰組や見廻り組の情報が入るようになり、11月に入り、ここから南の土佐藩邸により近い、近江屋新助方へ転居することになる。
河原町三条から一筋目南を東へ「酢屋」は290年の伝統をもつ材木商の老舗。この酢屋を入洛した龍馬は住まいとし、海援隊の京都本部とした。酢屋嘉平衛の理解もあり、慶応3年(1867)6月から二階表西側の部屋にいて「才谷」と名乗っていた。高瀬川の舟入である材木置き場でピストルの試し射ちもたまには二階の自分の部屋からしていたらしい。近辺に新撰組や見廻り組の情報が入るようになり、11月に入り、ここから南の土佐藩邸により近い、近江屋新助方へ転居することになる。