⑨佐久間象山・大村益次郎遭難之地碑
佐久間象山
信州松代藩士。幕末の洋学の第一人者で幕末の思想に大きな影響を与えた。門下生に勝海舟や吉田松陰らがいる。ペリー来航にあたり吉田松陰の密航失敗に関与して獄に下り蟄居(ちっきょ、刑罰の一つ)を命じられる。元治元年(1864)幕府の軍事指南として入京。国を開いて外国の文明を積極的に取り入れようと考え行動した。騎乗して住まい近くまで来た時、ここで肥後の浪士らに切りつけられた。
大村益次郎
幕末、維新の近代兵制の創始者。周防国の生まれ。緒方洪庵の適塾で蘭学を学び、のち西洋兵役を研究。長州藩の軍政を改革し、幕府の第二次長州征伐(1866)では、近代兵器で幕府軍を敗走させた。明治政府では兵部大輔(ひょうぶだいぶ、長官補佐)となって近代兵役の確立を図ったが、守旧派武士達の反感を買い、ここで襲われ、大阪へ運ばれたが、その後亡くなった。