⑧高瀬川
木屋町二条から伏見に至る約10キロの運河をいう。方広寺の大仏を再建するための物資の輸送を必要とした角倉了以が、慶長16年(1611)大仏殿の完成報告と運河の許可を家康に願い出てから18年かかって「高瀬川」が完成する。以後、大正9年(1920)鉄道交通の発達で廃止されるまで、京都の流通経済の大動脈となった。高瀬舟は、船底が平たく船首が高い曳き舟で川幅は約8m、深さも今の倍以上あった。京の工芸品を伏見から大阪へ、逆に木材、炭、米、塩などを京に運んだ。四条から三条の高瀬川沿いにある木屋町通は、幕末には維新のドラマが展開され、歴史の舞台となった。