かわらまちトーク#02
第2回目は、赤尾照文堂の赤尾さんと、六曜社の奥野さんです。
懐かしくもあり、訪れるたびにまた惹かれてしまう、そんなお店のお二方の想いとは
「ちょっとむかしの河原町って」
赤尾:初めまして。ネットで僕、六曜社さん調べたんですよ。
昭和25年からされているって、でも・・・あれ?
今日はおばあさまにお会いできるのかなって思っていました(笑)
奥野:そうなんです、僕なんです。(笑)
形的には僕で3代目になります。
高校卒業後、同業なのですが烏丸の喫茶店に7年半勤務、東山三条で独立し、2年前からここに携わっています。
赤尾:僕は24年生まれ。今の店の2階で生まれて小学校に通って、ここらもいっぱい子供居たんです。
ちょっとむかしの河原町はね、大学の先生や学生が本探しに来て、それこそ京大生が本を買いに来て先生と話して寺町・丸太町・河原町行ってそこから先生方は祇園に飲みに行かはるコースだったんですよ。本もね、ビックリするくらい売れてた時代、他に娯楽もないからね。
点々と本屋さんがあってハイカラな服っていうか、バーバーリーとかテーラーがあって、そういうお客さんが「まち出たついで」「買い物のついで」ってね、うちとか寄って先生方とおやじなんかがお茶飲んで話して帰るそういう場やったんですよね。
―サロンのような?
赤尾:そうそう!!そういう情報収集っていうかお話合いが出来たっていう文化的要素が強いまちでしたね。
「変わりゆくまち」
奥野:実際、僕はどちらかというと昔の河原町を知らなくて、こうしていきたいなって思いの方が多いかもしれないですね。
赤尾さんが継がれている事と一緒だと思うのですけど何を残しながら、次何を生みだしていくか?を考えないと店も河原町も、ただ流されて変わっていくだけだと思います。僕は、まだ商店街組合の何にも携わっていないので「何を言ってるんだ」って思われるかもしれないのですが、若者向きのまちから、子供がたくさんいて学生や先生も来てっていう文化的だった河原町に戻したいなっていう想いがあります。
赤尾:そう、若者のまちになっていくっていうのは仕方がないって思うんですけども、ご年配の方がゆっくりするお店が少なくなったと聞くのは切ないね。
そんな中で丸善さんが戻ってくるっていう事はとても嬉しい。ネットで販売するっていうのではなくて、お話するなかで販売できたらなって期待はあります。
奥野:時代が利便性を求めていてすごくスマートに収まるっていうか、きれいって表現がいいのでしょうか?ネットもそうですが、本来必要な遠回りも例えば不手際なものを省きすぎている気がします。不手際・不便な中にも学べるもの、美しいと表現できる部分があるから次に進める。コミュニケーションもそうだと思います。そういう意味では河原町は商店街としていま結束力が生まれてきているのかなって。異業種でもなんでも向かうところが同じならば商店街の店同士の交流は深まるのかなって。
赤尾:こうやって、お互いのお店を知っていくのもいいですね。もっと色々な意見やアイデアを若い方がだしてね、ぜひとも頑張ってほしいなぁ。
「人が集うまちだからこそ」
赤尾:京都には西陣・室町の着物や帯をつくるための「デザイン書」っていうのかな、明治・大正・昭和初期ってすごく木版画がつくられて、京都で作られて消費されているから実は京都以外に出ていない。戦禍にも合わなかったその当時のすばらしいデザイン書ものを復活させたいなって思いお店もリニューアルしたんだけれど、若い女性が好むかなと思っていたら外国の方の方が文化の違いかな?床の間文化に対して古い美術に囲まれて育った飾る習慣っていうのもあるんでしょうけれど外国の方の方が直感的にすごくよく分かってくれるんですよね。でも、本当はね、もっと日本の方に日本の良さを知ってもらいたい。京都って観光地「No.1」に選ばれたでしょ?まだまだこれから外国の方も来られると思いますが、やっぱり京都に来てよかったなって思ってもらえる場にしたいよね。例えばご飯を食べた後に散策できるようなお店とかもこれからは必要かもしれないね。
奥野:以前、勤務していた前田珈琲は烏丸にあったんですがオフィス街でありながら、観光地として常にお客様がいっぱいで忙しい状態でした。街として使い分けがうまくいった、人の集め方に成功した場所ですよね。すごいなって思います。逆に古川町商店街で独立した時に、商店街の人達が力を合わせて地の方々と頑張っているのが僕には心地よくて、河原町も観光地化しているんですけれど、河原町広場みたいなものがあって集う場所って出来るといいなって思っています。交流の場っていうのもあるし、やはり人を集める一つになる場所って必要なのかなって。
「10年後どんな河原町にしたいですか」
奥野:僕、やっぱり10年後生活の一部の河原町にしたいです。
普段人が集う喫茶店に携わっているからかもしれないですけど、珈琲の味とかじゃなくって雰囲気としての味、良さっていうものを知って、味わってもらうには、まず自分たちが1つになっていかないといけないっていう事と誇りをもっていかないといけないって思うんです。
そういうところを10年後にすごく根強いものにして、まずは近場の人達、京都の人たちが河原町にきたら、それこそ昔みたいになんでも揃うっていうような商店街としての役目を果たす町に僕は戻したい。その風景を観光の人達が味わいにくる。町の風景として、歴史として、すごくいいものをつくりあげて行きたいっていうのが大きい10年後でも20年後でもいいので、河原町も自分たちも残ることを望んで目指したいです。
赤尾:僕も全く同じ事になるけれど昔よく来てくれてはったお客さんも「街も人も変わってきて新しいお店や外国からの観光客も増え、私たちが以前のようなくつろげる場所が少なくなってきた」ってお声がすごく心に残っているんです、それをどうにかしたいなっていうのがあります。ますますお年寄りが増えていくじゃないですか、河原町に来て安心して買い物し、先ほどの「河原町広場」ってお話ありましたが他の人と交流とかが出来る街、そんな事が可能か出来るかどうかわからないけれど昔のような居心地の良い河原町に戻ればいいなって思いますね。
自分たちのお店で手がいっぱいで、商店街へは、それほど協力的じゃないし、それをどういう風に協力してもらえるように持って行くかっていうのがこれからの課題です。
奥野:そうですね、そんな気がします。
―お二人とも本当に河原町をこよなく愛おしんでおられるのだな、と僅かな時間ではありましたが、溢れる想いの強さを感じたひと時でした。
- 赤尾照文堂
- 赤尾 薫 Kaoru Akao(左)
- http://shobundo.jp
- 六曜社
- 奥野 薫平 Kunpei Okuno(右)
- http://rokuyosha-coffee.com/
取材場所 : 六曜社地下